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2006.12/14 [Thu]
またしても昔話を少し…
そろそろ寝なきゃ〜と思うのですが、ランキングの順位が上がって嬉しいので、やはり昔話も書いておきます。
(昔話終わったらがくーんとさがっちゃったりして
)
この前の記事に関連してなのですが、私は元旦那を恨んで書き連ねてる訳じゃありません。
自分にも非がありましたし、お互い若かったし(結婚したのは23の時でした)仕方なかった部分も多いと思います。
(若くして結婚して頑張ってる方、本当に尊敬します!)
それに「大変だったね〜」と言われるのですが、自分ではそんなに大変だったと思っていないのです。
活字にしてみると、改めていろいろあったなぁ…とは思いますが、やはり友人や身内に助けられていたからだと思うのです。
元旦那と向こうの両親はとりあえずおいといて、その他の人たちには本当に恵まれていたな、と思います。
話の続きに入りますが、当時家庭はそんな感じでしたが、毎日まず保育園に行くと明るく綺麗な園で、優しい先生達がさわやかに挨拶してくれて一日が始まり、仕事場に行くとみんなオープンからの仲間なのでわきあいあいと仕事をして…家での事は本当に忘れていました。
仕事も、半年ほど経つとペンと手が一体化してきたような感じがしてきていたし、各担当者が「こうして欲しい」って直に話を持ってきて、その要望に応えるべく作ったものをすごく喜んでもらえたり、それで売り上げが上がったりするのが、とても嬉しかったです。
また、POP三人のタッチの個性がはっきりしてきたので、それも面白かったです。
各担当者も、それで三人を使い分けたりして(笑)
ちなみに私の得意分野は「雑貨・食品・電気」関係でした。
字が大きくて「ばーん」って感じだったんですね
イラストが上手で繊細なタッチの子は、よく「玩具・バラエティ」を、もう一人色使いが上手な人はよく「アパレル」をやっていましたね。
仕事場の経理さん・オペレーターさん・POPライターと、事務所メンバーでは主婦が多かったということもあり気が合って、月イチくらいで夜みんなで食事に行ったりもしていました。
私はむすめを預かってくれる人が居ないので連れて行っていましたが、みんな歓迎してくれて、そのうちもう一人オペレーターさんも息子さんを連れてくるようになり、むすめも楽しそうでした。
その時の経理さんが以前コメントを寄せてくれた、ミノちゃんです。
今でもつながっているという事が、とても嬉しいです。
(ミノちゃんは私が実家に帰ってすぐ、幕張メッセで自分の娘さんのチアダンスの大会があるから、と招待してくれたんです。
気分転換にもなるし…と思って声をかけてくれたんだと思います。
私はその娘さんの高校のダンスを見て、すごく力をもらいました。
その高校は、あの有名な神奈川県立厚木高等学校だったんです
ミノちゃん、本当にありがとう
)
でも、家では初めて金縛りにあいました。
北側の部屋で転寝をしてしまったのですが、以前読んだ霊能者の江原啓之さんの本に書いてあった通り、耳元でごーっと風のような音がして、本当に体が動かなくなってしまったんです!
でも、なんとか体を動かさなきゃ、と思って、しばらく頑張っていたら「ふっ」と手を動かせるようになって…本当に本の通りだったな〜と、しばらくボーゼンとしていました。
自治会の会長をして知ったことなのですが、その社宅外部から簡単に人が出入りできてしまう為、ちょっとした自殺の名所になっていたんです。(道路側に螺旋階段があったんです)
それを思い出して、ぞっとしました…。
また、江原さんによると「ネガティブな考えをしていると金縛りにあったり、憑依されやすくなってしまう」とのことでしたので、やはりそういう状態だったのかもしれません。
自殺の名所って知ったからという訳ではありませんが、その社宅確かに暗い感じなのです。
住民も減っていたから尚更だったのかもしれませんが。
部屋の中も、特にお風呂場が嫌な感じがして、トイレにも窓が無く…
お風呂の方角が鬼門だったこともあり、当時ちょっと風水に凝っていました。
自殺の名所の社宅なんて住みたくない!と思った方、ぽちっとお願いします
おかげさまで、更にさらにランキング上昇中です
ありがとうございます

(昔話終わったらがくーんとさがっちゃったりして
)この前の記事に関連してなのですが、私は元旦那を恨んで書き連ねてる訳じゃありません。
自分にも非がありましたし、お互い若かったし(結婚したのは23の時でした)仕方なかった部分も多いと思います。
(若くして結婚して頑張ってる方、本当に尊敬します!)
それに「大変だったね〜」と言われるのですが、自分ではそんなに大変だったと思っていないのです。
活字にしてみると、改めていろいろあったなぁ…とは思いますが、やはり友人や身内に助けられていたからだと思うのです。
元旦那と向こうの両親はとりあえずおいといて、その他の人たちには本当に恵まれていたな、と思います。
話の続きに入りますが、当時家庭はそんな感じでしたが、毎日まず保育園に行くと明るく綺麗な園で、優しい先生達がさわやかに挨拶してくれて一日が始まり、仕事場に行くとみんなオープンからの仲間なのでわきあいあいと仕事をして…家での事は本当に忘れていました。
仕事も、半年ほど経つとペンと手が一体化してきたような感じがしてきていたし、各担当者が「こうして欲しい」って直に話を持ってきて、その要望に応えるべく作ったものをすごく喜んでもらえたり、それで売り上げが上がったりするのが、とても嬉しかったです。
また、POP三人のタッチの個性がはっきりしてきたので、それも面白かったです。
各担当者も、それで三人を使い分けたりして(笑)
ちなみに私の得意分野は「雑貨・食品・電気」関係でした。
字が大きくて「ばーん」って感じだったんですね

イラストが上手で繊細なタッチの子は、よく「玩具・バラエティ」を、もう一人色使いが上手な人はよく「アパレル」をやっていましたね。
仕事場の経理さん・オペレーターさん・POPライターと、事務所メンバーでは主婦が多かったということもあり気が合って、月イチくらいで夜みんなで食事に行ったりもしていました。
私はむすめを預かってくれる人が居ないので連れて行っていましたが、みんな歓迎してくれて、そのうちもう一人オペレーターさんも息子さんを連れてくるようになり、むすめも楽しそうでした。
その時の経理さんが以前コメントを寄せてくれた、ミノちゃんです。
今でもつながっているという事が、とても嬉しいです。
(ミノちゃんは私が実家に帰ってすぐ、幕張メッセで自分の娘さんのチアダンスの大会があるから、と招待してくれたんです。
気分転換にもなるし…と思って声をかけてくれたんだと思います。
私はその娘さんの高校のダンスを見て、すごく力をもらいました。
その高校は、あの有名な神奈川県立厚木高等学校だったんです

ミノちゃん、本当にありがとう
)でも、家では初めて金縛りにあいました。
北側の部屋で転寝をしてしまったのですが、以前読んだ霊能者の江原啓之さんの本に書いてあった通り、耳元でごーっと風のような音がして、本当に体が動かなくなってしまったんです!
でも、なんとか体を動かさなきゃ、と思って、しばらく頑張っていたら「ふっ」と手を動かせるようになって…本当に本の通りだったな〜と、しばらくボーゼンとしていました。
自治会の会長をして知ったことなのですが、その社宅外部から簡単に人が出入りできてしまう為、ちょっとした自殺の名所になっていたんです。(道路側に螺旋階段があったんです)
それを思い出して、ぞっとしました…。
また、江原さんによると「ネガティブな考えをしていると金縛りにあったり、憑依されやすくなってしまう」とのことでしたので、やはりそういう状態だったのかもしれません。
自殺の名所って知ったからという訳ではありませんが、その社宅確かに暗い感じなのです。
住民も減っていたから尚更だったのかもしれませんが。
部屋の中も、特にお風呂場が嫌な感じがして、トイレにも窓が無く…
お風呂の方角が鬼門だったこともあり、当時ちょっと風水に凝っていました。
自殺の名所の社宅なんて住みたくない!と思った方、ぽちっとお願いします

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